会社の歴史
長寿企業としての歴史
1600年(慶長5年)
野田家初代野田仙長のミステリーについては、大佛次郎賞作家、中薗英助氏( 2002年 逝去)が小説「南蛮仏」 にて、野田家の初代野田仙長と戦国大名筑紫広門、さらに筑紫広門と戦国時代の代表的なキリシタン大名大友宗麟、有馬晴信との深い関係を指摘。
1832年(天保3年)
上杉鷹山の米沢藩改革(「漆の実の実る国」藤沢周平 著)と同様に、江戸後期大塩平八郎の乱が起きる最も困難な天保大飢饉時、藩政建て直しの目的で有馬藩(福岡県筑後地区)に木ロウを納入する為、野田家八代目野田常太郎がセラリカNODA(旧:野田ワックス)の祖となる製蝋業「野田製蝋」を九州筑後国上妻郡川崎庄(現福岡県八女市大籠)に創業。
1951年(昭和26年)
野田製蝋は営業部門として、東京銀座木挽町に事務所を開設。
1956年(昭和31年)
野田守が本社を東京都港区南青山一丁目(旧リコー本社隣)に移転。東京・喜多見に工場を新設し、「株式会社野田ワックス」を設立。
1975年(昭和50年)
野田ワックス2代目社長に、野田ヨソノが就任。
1987年(昭和62年)
キューバよりロー砂糖省副産物局長以下3名の使節団が新たな天然ロウ開発に向けた当社での打合せを目的に来日。
1988年(昭和63年)
野田ワックス(現セラリカNODA)3代目社長に、野田泰三が就任。
1990年(平成2年)
21世紀の未来に向けた画期的な「セラリカ構想」を発表。
新高精製技術のセラリカ「NCシリーズ、SCシリーズ」の発売を開始。 。
1992年(平成4年)
日本木蝋商工業協同組合の委託を受け、木蝋に取り組む日本の若き木蝋産業後継者育成の目的でとてもユニークな「木蝋振興パンフレット」を完成。(日本相撲協会の全面協力を得て、後に横綱となる若花田、貴花田の写真を使用)
写真
1993年(平成5年)
農林水産省昆虫利用産業技術開発事業に参画。昆虫を「生かす」発想での研究開始。その後10年間継続する。中国林業省徐有芳林業大臣にハゼの実を進呈。その後中国各地に植林。
写真

写真
1994年(平成6年)
中国全土の動植物ロウ原料調査を目的に、中国北京友諠賓館主楼に「北京駐在員事務所」を開設。 中国林業科学研究院と民間初の国際研究契約である「貝殻虫・雪ロウ」日中共同開発研究契約を締結。 セラリカ構想に共鳴された、ブー・テン・ファン ベトナム科学アカデミー会長(日本ベトナム友好協会会長)主催のセラリカセミナー(国立バイオテクノロジー研究所長等 国研所長クラスが参加)をベトナム・ハノイにて開催。マレーシア、シンガポール政府高官も「セラリカ構想」に共感し、東南アジアでの実践について打合せのために来日、弊社訪問
写真
写真
1995年(平成7年)
「株式会社セラリカNODA」へ社名変更、新創業。 中国北京に、現地法人「セラリカNODA生物科技(北京)有限公司」を設立。 北京体育大学 田副学長(中国初の体育学博士)、中国林業科学研究院 張常務副院長(全人代委員)、国立資源昆虫研究所 候所長の講演による新創業記念シンポジウムを東京のホテルニューオータニと、つくば市のつくば研究支援センターにて開催。 気功、太極拳等伝統的な中国の健康法の最高レベルの学者、実践者等による記事を中心とした、北京体育大学と共同での数少ない中国政府認可の日本語雑誌「中華健身術」創刊。 日刊工業新聞社創立80周年記念事業の「21世紀ものづくりシンポジウム」、「中小企業国際シンポジウム」それぞれでセラリカによる「生物産業」創造を講演、提起。
写真
写真
写真
1996年(平成8年)
営業本部、セラリカセンターを本社へ統合。 「中国における天然ロウの開発試験事業」が国際協力事業団(JICA)の開発融資事業に選定。JICAのカタログにも中国での環境と経済の向上を両立出来る代表的な林業事業として取り上げられる。 国連大学「ゼロエミッション」発刊記念フォーラム(デソウザ国連大学長、提唱者 F.カプラー、G.パウリ参加)にて、昆虫を利用した「生命ロウ=セラリカ」による「生物産業」を提起。本質的なゼロエミッション事業として注目される。 北京公司創業記念で中国No.1の科学技術新聞である科技日報社がセラリカ構想に共鳴し、弊社と共催の中国初の「環境広告セミナー」を北京友諠賓館にて開催。 中国歴代皇帝がその水を愛用した、中国北京、玉泉山地区に本格的な茶室と日本庭園を持つ美しい「セラリカNODA生物科技(北京)有限公司」本社工場開業。 NHKテレビ50周年記念「もう一度見たいあの番組」で人気No.1の日中共同合作ドラマ「大地の子」で養父役を演じた、朱旭氏がセラリカ構想に共感し当社顧問となる。
写真
1997年(平成9年)
「発ガン遺伝子産物によるガン診断薬」に関する特許多数取得。 「昆虫分泌ロウ利用開発事業」が創造的事業活動として神奈川県知事より認定。 セラリカ構想のアジアにおける実践活動に対して、日刊工業新聞社より第14回国際貢献者賞(平岩外四経団連名誉会長が審査委員長)を受賞。
1998年(平成10年)
シックハウス症候群が社会問題化する中、世界に先駆ける理想的な自然塗料である食品用植物成分100%の「セラリカコーティング」の開発をスタート。 中国林業科学研究院(江沢恵院長、江沢民国家主席の妹)40周年記念式典に、日本の民間企業では唯一招待を受け、国際シンポジウム環境部会の座長に指名される。 中国で民間初の博物館、古陶文明博物館の顧問に就任。
1999年(平成11年)
煤の出ない「雪ロウを使ったアロマキャンドル」を資生堂AYURAが発売。 国際養蜂協会(APIMONDIA)の協力により、国際養蜂史上初のセラリカ世界NO.1蜜ロウコンテストを実施、授賞式を中国北京にて開催。(中国農業科学院蜜蜂研究所の歴代所長が参加。)
写真
2000年(平成12年)
2年間の開発期間を経て「セラリカコーティング植物力」完成。発売と同時に塗料史上初のグッドデザイン賞(新領域部門)をNTTドコモのiモードと共に受賞。外見的なデザインではなく、植物成分100%の製品を使う事により、原産国である途上国の環境も向上させ、室内環境も向上させる一貫した理念が21世紀のライフスタイルとしての新しいコンセプトデザインとして評価される。 森を増やすことによって貧しき人々の生活を向上させるセラリカ構想に共感し、その考え方こそ真に仏教的であると認めて頂き、中国仏教協会が慈善的実践活動を植林活動に集中、又、茶道裏千家淡交会 北京同好会相談役にも指名される。
写真
2001年(平成13年)
「セラリカコーティング」の販売が本格化。 健康や安全にこだわりを持つ消費者向けに「東急ハンズ」「通販生活」、健康住宅工務店等プロ向けに「三井住商建材」を中心に「ナイス」「ジャパン建材」「紅中」等で発売。 開宗750年目を迎える本社近くの「星下り本山妙純寺」の酸性雨で汚れた日蓮上人銅像をセラリカコーティングで磨き上げ、美しく蘇えり、TV番組で放映される。 生物産業の先駆けとなるセラリカコーティングの環境先進性を評価頂き住友商事環境レポートに2年連続取り上げられる。
2002年(平成14年)
「セラリカコーティング・ピュア」が、小林住宅工業や青木工務店等、健康安全面で最先端の工務店に続々採用される。 中小企業診断協会(社)より、「日本のIT型中小企業200社」に選定される。 激動の19世紀 20世紀 21世紀の3つの世紀に渡り、お客様に信頼頂き続けて170周年を迎え、長寿企業としても注目される。記念事業としてシンボルツリー「櫨の木」を中心に本社・工場のリニューアル実施。
2003年(平成15年)
建築基準法の改正、厚生労働省の室内空気の指針値の制定等国のシックハウス、シックスクール対策が進む中、「セラリカコーティング・ピュア」がホルムアルデヒド「不検出」という素晴らしい評価を得て、油性塗料・自然塗料初の国土交通省大臣認定「F☆☆☆☆」(最高等級)に認定される。 ナイス社の高級家具 BEMUKU に「セラリカコーティング・ピュア」が全面採用される。 中小企業総合事業団より、「オンリーワンエクセレントカンパニー」のモデルに選ばれる。 ニッポン放送 朝のラジオ番組で「自然素材で日本の森を復活させよう」というキャンペーンCM放送。
写真
2004年(平成16年)
日本木蝋商工業協同組合がセラリカNODA本社所在地に移転。社長野田泰三が、新理事長に就任。 ロンドン軍縮会議全権、元首相「若槻礼次郎の机」を東京ビックサイトの展示会で発表し、日経産業新聞他で大きく取り上げられる。 浜銀総合研究所「ベストパートナー」誌に、「遺伝子を守り続ける小さな大企業」として取り上げられる。
写真
写真
2005年(平成17年)
第一回「かながわキラリチャレンジャー大賞」ファイナリスト受賞。林野庁予算にて、日本木蝋商工業組合が著作編集した、「未来を拓く産業としての<木蝋>-生命系産業が石油系産業を超える日」出版。国会議員からも画期的と高い評価を得る。 日本環境倶楽部環境セミナーにて東洋学園大学 朱建栄教授と共同で、大変困難で重大な中国の水問題を提起。 100万人のキャンドルナイト(700万人参加)にて、加藤登紀子、一青窈(ひととよう)等と共に呼びかけ人となる。
写真


写真
2006年(平成18年)
株式会社設立50周年。9月7日創立記念日に多くの皆様より祝福をいただく。 「かながわスタンダード事業計画書」で、「ビジネス可能性評価A認定」を受ける。 SIC経営者セミナーにて、「生命の世紀へ」を講演。浜銀総研機関誌「ベストパートナー」に全文掲載。 東北大学大学院 大滝精一教授の「経営革新への挑戦」で、天然を現代に生かす21世紀的経営革新のモデルとして取り上げられる。 大宅賞作家 野村進氏が、雑誌「野生時代」で「千年、働いてきました(日本の不倒企業)」に古い歴史を持ちながら、宇宙人のようにユニークな社長の会社と弊社を取り上げる。 雑誌「室内」最終特別号「人物登場・あの人あの時」に弊社社長が取り上げられる。
写真
2007年(平成19年)
「かながわスタンダード」の認定を受け、パシフィコ横浜にて神奈川県松沢知事より直接楯をいただく。 「日本の元気なものつくり中小企業300社」に選出され、経済産業大臣より楯をいただく。 創業175周年を迎える。長寿企業がブームとなる。テレビ、ラジオ番組、雑誌で長寿企業の代表として度々取り上げられる。
写真
2008年(平成20年)
創業175年事業として、「生命の生き生きした明るさ」をテーマに、本社を全面リフォーム。 野村進氏が「千年、働いてきました」(角川書店)を発刊。たちまちベストセラーになる。毎日新聞、週刊文春等で野村進氏が弊社「セラリカ構想」こそ、アジア発の21世紀の「パラダイムシフト」になると発表。 NHK番組「知るを楽しむ この人この世界‐野村進 長寿企業は日本にあり」で取り上げられる。 神奈川大学初の経営学部、理学部合同の総合授業にて「セラリカ構想」について講義。 21世紀のモデル企業100社選定を目指す「デザインエクセレントカンパニー賞」を健康企業タニタ等と共に受賞(選考委員長・資生堂福原義春名誉会長、産業デザイン振興会)。 日本最大の税理士集団TKC全国会発行雑誌「戦略経営者」に長寿企業の代表として取り上げられる。 野村証券提供のCS放送にて「革新的な長寿企業」として取り上げられる。 日本経団連が主導する「メンター制度」(経営者への真の精神的指導者) が発足し、ITEC(会長 鳴戸道郎 富士通元副会長)「メンターフォーラム」第2回、第3回でメンティー(指導を受ける経営者側)代表として講演。

2009年(平成21年)
今回の世界的同時不況を原料素材、エネルギー両面における「石油系から生命系への大転換」として 「アマテラス復活不況」と命名、日刊工業新聞に取り上げられる。 同仁倶楽部(山本幸助理事長)にて「ドラッガーが予言した生物産業の時代/セラリカ 豊かさの5段階説と貧困からの脱却」をテーマに講演。好評を得る。 神奈川大学の経営学部、理学部の総合授業にて「循環型社会論」について講義。 フェリス女学院大学の国際交流学部にてCSRについて講義。 東京工芸大学と映像のフィールド授業にてコラボレートする。 神奈川大学国際経営研究所のシンポジウムにて「伝統の中の革新」をテーマに講演
2010年(平成22年)
浜銀総合研究所発刊『ベストパートナー』誌に『百年企業の知恵に学ぶ』という特集で弊社社長の対談が掲載。好評により鹿児島銀行、山陰合同銀行の機関誌へも全文が転載。 TBS日曜朝の経済番組『がっちりマンデー!!』放送300回記念番組で世界一の長寿企業「金剛組」と共に紹介される。 日経ビジネスに弊社社長のインタビュー記事が2ページにわたり掲載。 日本経済新聞WEB版に弊社社長のインタビュー記事が2ページにわたり掲載。 ISO14001を取得。(農薬フリー蜜ロウの売上3,000万円達成を環境目標の1番目に掲載) 慶応大学環境情報学部にて弊社社長が講義。 早稲田大学西早稲田キャンパスにて開催された「メンターによる経営セミナー」にて弊社社長が講演。 NHK国際放送番組「Japan Biz Cast」の特集で取り上げられる。 弊社社長がパネリストとして経済産業省クールジャパン室が後援する「ものづくり推進会議 百年企業倶楽部」創設シンポジウム「クールジャパンと100年企業」開催。
2011年(平成23年)
創新ネットシティ大定例会にて弊社社長が東北大震災の余震の中で講演。 東日本大震災に関して重要なメッセージを発信。 東京工業大学学生とコマーシャルムービー作成 HPにて公開。 無農薬セラリカ(農薬フリーワックス)【NC-F シリーズ】上市。第5回化粧品産業技術展 CITE Japan 2011にて紹介。
2013年(平成25年)
愛媛県大洲市の喜多精蝋所を再建し「つるかめ喜多工場」として再始動
2014年(平成26年)
松下政経塾にて新入社員4名をつれて、松下政経塾塾生を対象に塾主研究で講演。 社員の読解力向上を目的とした社内刊行誌『セラリカ知識新聞』を創刊。
2015年(平成27年)
BSジャパンの日経スペシャル『夢織人』にて過去を反省し未来づくりで若手が活躍している企業として紹介される。 木ロウの原料であるハゼの実の自社収穫と収穫協力者の拡大運動を始動。
2016年(平成28年)
テレビ東京の『所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!』にて老舗が使い続ける道具に注目する企画で日本最古の稼働しているボイラーが特集される。 長寿企業研究がブームになる中、中小企業白書に長寿企業の代表として弊社が掲載される。
2017年(平成29年)
シンポジウム「ハゼノキを利用する文化と科学」を明治大学で開催。 忘れられつつあるハゼの実の収穫方法を指導し、収穫者や協力者を増やす取り組みとして、「ハゼの実スクール」を九州、四国で開始。 AIが発達する現代に、社員が未来的にも継続的に意味ある労働を果たせるようになることを目的とし、社内に「セラリカ大学」を開校。自らと考えの異なる人の考え方を、先入観を持たずに正確に理解できる「聞く力」、自分の考えていることを、意見が対立する人たちの心にしっかりと届け、説得力をもって相手の心を動かす「表現力」を社員が実践できるようにしている。
写真
2018年(平成30年)
和歌山県にある、りら創造芸術高等学校の生徒である女子高生2人が、枯死したとされていたブドウハゼの原木を発見し、特用林産功労者特別賞受賞、日本テレビ等に取り上げられることで若者とハゼが注目を浴びた。 新潮文庫より野村進氏が「千年働いてきました」を発刊。派手な商売でなく、本業の筋をはずれずにこつこつと続けてきた老舗の知恵が意外なことに携帯等の最新の技術に生かされていることが示される名著。
写真
2019年(令和元年)
令和天皇が即位された際にお召しになられた黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)は、ハゼの枝で染められていること、江戸時代を象徴する“和ろうそく”や武士のちょんまげにもモクロウが使われていることから、日本の文化を象徴するモクロウを未来に向けて更に活性化していくことを誓う。 愛媛県大洲市の「大洲ええモンセレクション」で認定された木ロウであるロイヤルワックスWとGで木ロウ文化とともに、海外へも拡販中。 野田泰三が島田晴雄氏、朱建榮氏等と共著で書籍「米中貿易戦争と日本経済の突破口」を上梓。 ISO9001(2015年版)を取得。 販売製品の集中化のためセラリカ製品に注力した今までの製品ラインナップの見直し。 「セラリカ大学」の一環で、科学雑誌の見開き記事を自らの好奇心で探求し、生活や仕事に現れる様々な現象を科学的に社員全員の前で分かりやすく伝える「科学の発表」を行い、知的好奇心を育て、より実践的に「書くこと」、「話すこと」を学ばせている。
2020年(令和2年)
りら創造芸術高等学校の女子高生が発見したブドウハゼの原木が、和歌山県立向陽高等学校の生徒達のDNA鑑定実験等の協力により天然記念物へと復活。 内閣府のSDGs未来都市づくりに認定された水俣市と一緒になり、櫨の植林やモクロウを通じて、21世紀的観点から天然素材への転換を図り、さらに自然と共生する紅葉の美しい櫨の木に溢れた環境都市の新たな街づくりを目指す。 新型コロナ危機に直面。100年経営の会の企業の代表として、当社現社長 野田泰三が、日刊工業新聞にて「コロナゲリラ戦争への長寿企業の戦い方」を提言し、これからのモノづくりへの姿勢について説いた。 セラリカ大学の一員でもある社員一人一人が青年期から世界を目指して向上し続けるために、英語での自己紹介をはじめとして、会社紹介や仕事紹介を英語でするための練習をスタート。